2006年04月28日

野座羅氏諸国漫遊へ

…電話だ。
何だ、こんな時間に?

 野氏「……もしもし」

 Y殿「野座羅氏殿かえ?
    プレゼント企画の件で話があるのじゃ」

 野氏「ああ、あの獅子猿氏サイン入り画集に加え、
    新たに吉岡林の図柄のオリジナルQUOカード
    セガダイレクトの予約特典・オリジナル
    そして販促用ポスター武将短冊セットが当たる
    プレゼントの事ですな」

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 Y殿「わらわの台詞をとりおって……やるようになったわ」

 野氏「で、その件で何か?」

 Y殿「おお。
    すでに4月も終わり。
    応募期間が延長されたのを知らぬお客様のために
    再度、Blog上での告知を頼みたくての」

 野氏「5月の15日まで、延長されたんでしたよね?」

 Y殿「あと半月。お客様にはどしどし応募してもらいたい故
    是非とも告知の件、よろしく頼むぞよ!」

 野氏「御意!!
    …で、俺には……」

 Y殿「何度も言うておろうが!
    関係者の応募は無効じゃ!
    詳しくは、公式HPでの告知をごらんあれ!
    オホホホホホホ!!」

…と言うわけで、残り半月
プレゼント企画、みんなもどしどし応募してくれぃ!!

ところで、このBlogの更新、以降しばらくの間、
不定期になると思う。
実は、天下人やりこみすぎたおかげで、前にも増して
戦国時代への興味が高まってしまい、これから
各地で催される戦国関連の行事や旧跡・名所を巡り、
いろいろと情報や知識を仕入れる旅に出る事と相成りました。
※決してY殿から逃れようとか、そういう理由じゃないので・・・
 いや、本当に。

一皮剥けた野座羅氏とこのBlogにご期待あれ!

これまでお伝えしてきた「天下人」の色々な情報と魅力、
そして戦国時代の武士の生き様。
色々と情報を集めきっと戻ってくるつもりだから、時々は
ここを覗いて見てくれ!


更なる高みへ上ろうぞ!
野座羅氏でした。


posted by 野座羅氏 at 20:46 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

器量は悪いが働き者 戦国時代の馬匹考

戦国時代の「機動部隊」といえば、

騎馬隊だった。
「天下人」では、
特に武田騎馬隊の存在とその攻撃力は
恐ろしいの一語に尽きる。

この騎馬隊などに代表される、戦国時代の馬
一体どのようなものであったのか?

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まず、当然ではあるが、この時代の馬は、
今私たちがよく目にする競走馬(サラブレッド)ではない。
日本固有種の馬たちであった。

現在では在来馬8種が確認されるのみで、
木曽馬を代表とする中型種と、
野間馬などの小型種に大別される。
※すでに絶滅した種としては、南部馬・三春駒・三河馬など
 かなりの数の亜種がいた。

これら日本在来種の特徴は
太くて短い足
大きな胴
背の低さ
 が挙げられるだろう。
当時の日本人の平均身長160cm前後でも、
騎乗すると「足がつく」というから
かなり背が低かったことがわかるだろう。

だが、これらの日本馬は見かけによらず力が強く、
現在でも開催されているばんえい競馬(北海道旭川市)では
1tのソリを牽く競技があり、
その力強さはサラブレッドの比ではない。

考えてみれば、鎧を完全装備した騎馬武者、
人間の体重も合わせれば百キロ超を乗せ、
長時間の巡航や悪路の走破を軽々とこなす。
騎馬隊にとっては「欠かせぬ心強い友」であった。

確かにその走りには「優雅さ」は欠けているのかもしれない。
だがそれを補って余りある迫力と馬力

これらの日本馬の走り、機会があれば是非見る事をお勧めする。
posted by 野座羅氏 at 16:56 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

織田信長 青春の蹉跌

「天下人」の中では、桶狭間の戦いという一大転換期以降が
その舞台となっているが、
史実の織田信長の苦渋はそれ以前の時代にもあったというお話。

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下克上、自らの障害となれば例え親兄弟でも始末するのが習いの戦国時代。
どこの家中にも大なり小なり「家中の争い」は付き物だったが、
特に織田家はそれが激しかった。

信長の父・信秀の代には、一族は戦闘力こそピカ一であったが、
反面政治的権力は弱く、尾張守護代の織田信友を主と仰ぐ、地方領主に過ぎなかった。

まず信長は、自らの家督継承の最大の敵、
実弟・信行を仮病で誘い出し、これを暗殺
※信行は信長の母でもある土田御前の権勢を背景に
 たびたび信長に反抗、柴田勝家は元々信行付の家臣であった。

更に父・信秀没後、家督を継いだ信長は、
長年、一族の目の上のたんこぶであった清洲織田家当主・信友
尾張守護・斯波義統の子、義銀殺しの罪として討ち取る。
さらに、信長は織田一門の宗家であった上四郡守護代・織田信安をも討ち、
ここに織田家の統一となる。

これ以外にも、信長が若い頃は、
家中・親戚・近隣の殆どが「敵」という、絶望的な状況であったが、
これに信長は一貫して厳しい態度(早く言えば討ち取り)で臨み、
徐々に協力者・家臣を増やしていくのである。

有名な「うつけ」であった信長の事、
家臣・重臣・肉親にどのような扱いをされていたかは
想像に難くないが、まさにどん底から己の才覚のみで
家中を一つにまとめ上げたのも、信長だからこそなせた技なのだろう。

それ以降、信長は絶えず家臣を「恐怖」「恩賞」により支配、
だが身内には殊の外優しく、特に息子たちに対しては
威厳もあるが、気のいい父親として接したという逸話も数多い。

だが、この手腕が、後に自らの命を
縮める原因になったのかもしれない……
posted by 野座羅氏 at 21:09 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

開発秘話B:デザイナー編 色調とデザインの具現化

今回紹介するスタッフの裏話は、
CGデザイナーの皆さんから聞いたお話。
S氏、K氏にお話を伺ってみた。

 野氏「合戦でまず目を引くのは、個性豊かで
    バリエーション豊富な各MAPなわけですが
    どのような部分が苦労しましたか?」

 S氏「いや、取り立てて技術的には苦労はしていないんです
    数年前からコツコツといろいろな試作を経て、
    方法論はすでに確立していましたし」

 野氏「なるほど。
    だからこそ、バラエティ豊かな地形も再現できたわけですね」

 S氏「苦労したというか、テクスチャ用メモリなどの各種制限の中で、
    全体の色味の統一感季節感の表現
    それに全体を眺めた時の『わかり易さ・判別のし易さ』という
    点はなかなか上手くいったと思っています」

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 野氏「見た目がわかりにくいと、
    移動などでストレスがたまりますからねぇ。
    キャラクターに関してはどうなんでしょう?
    獅子猿氏の特徴あるデザインを、
    どう具現化するかとか」

 K氏「イベントのキャラモデルについては、
    合戦中に比べれば制約は殆どありませんでしたね。
    獅子猿さんの設定をどこまでPS2上で再現できるか、
    それだけを考えて可能な限り作りこんでいます

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 野氏「特徴あるデザインと雰囲気を、かなり忠実に反映させていますよね」

 K氏「どのキャラも重要な見せ場の“演舞”がありますから、安易に
    省略したりすれば、すぐにわかってしまいます。
    主役級クラスに関しては、殆ど妥協せずに製作しました」

 S氏「獅子猿さんの設定も、その構造や動作への対応に至るまで
    細かく考えられていたので、その点では矛盾は出ませんでしたし」

 野氏「…ふむふむ。
    緻密な設定と、それの妥協なき再現
    それにより、あの迫力と熱さがかもし出されているわけですな」

他にもいろいろな「制作技術上の秘話や目標」が聞けたのだが…

 Y殿「…野座羅氏殿、このくだりはくどいようだが企業秘密ゆえ
    ゆめゆめ明かす事はならぬぞよ」

 野氏「…わかっております。後々への財産ということですね…
    (ああ、でもその構想でRTSを作ると凄い物ができるはず
     …いつか見てみたい)」

確かな技術力に裏打ちされたデザイン設定と、それを現実化する
開発スタッフ一同のたゆまぬ努力。
是非、君もこの「天下人」で開発人スタッフの熱き心を感じてみてくれ!
posted by 野座羅氏 at 19:16 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

怪僧 天下を謀る 南光坊天海

この「天下人」には、多種多様な人物が登場する。
いずれも一筋縄ではいかぬ人物ばかりだが、
その中でも異彩を放つのが、今回紹介する

南光坊天海だ。

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この天海という男、その生涯の殆どがに包まれている。
元比叡山の僧侶で、あの信長の「比叡山焼討ち」の難から逃れ、
諸国の寺を流浪後、小田原城攻め〜関ケ原頃に徳川家康と出会い、
程無くして彼のブレーン的存在となっている。
以降、家康の、そして徳川幕府の陰の実力者として、
家康から三大将軍・家光にまで仕え、108歳(!!)で没したとされている。

特に、家康没後に、その称号を「東照大権現」とし、
江戸鎮護の要として、日光東照宮に奉った功績が大きい。
※一説には、江戸城下の都市計画の基礎
 天海が起案したとされている。

と判明している経歴を紐解いただけでも
何やら「常人とはかけ離れた資質の人物」がうかがい知れる。

で、この天海、「天下人」の中では、
明智光秀「本能寺の変」後、世を欺く為に
その身を偽る名・身分という設定になっているが、
実はこれ、歴史小説や歴史学者の間でも
取り上げられる説(半分トンデモではあるが)なのだ!

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光秀自身もかなり謎の多い人物。
将軍・義昭の特使として、織田家を訪れる以前の経歴は
伝承・伝説の類でしかないものが殆ど。
妙にそのあたりが天海の人物像とかぶる。

希代の怪僧、幕府・影の宰相、南光坊天海
果たして、その正体は何者であったのか……

全ては歴史の闇に飲み込まれてしまった。
posted by 野座羅氏 at 19:54 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月21日

最終防衛戦!! 徳川との最後の戦い!! 大坂城 夏の陣

真田編、最後の大決戦

「大坂城 夏の陣」だ!!

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史実では、先の冬の陣の停戦後、
徳川側の数々の策により、
堀を埋め立てられ、ほぼ丸裸となった大阪城を舞台に
豊臣残党と徳川の大合戦が行われた。

「天下人」でもそこら辺の状況を再現、
守りの要、真田丸も地続きと成り果てている

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この困難な状況の中、
徳川勢は前にも増しての大軍勢、
そして意外な援軍を引き連れて、再度大坂城攻略を開始する。
敵もこれを最後の決戦と踏まえているから、
その攻撃は熾烈の一言。
頼りの真田丸も無いまま、これをしのがなければ
城は落ち、豊臣家も最後の時を迎える、まさに正念場!!

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だが、味方側にも心強い人が助けに来てくれる!
戦力を集中し、確実に徳川勢を倒していくんだ!!
先の冬の陣でも有効だった、
「矢倉の強化」がここでの要!
工作系部隊の派遣を忘れるな!!

さて、今まで紹介してきた「天下人」プレイリポート、
ひとまず今回で一段落したいと思う。
残る伊達編、島津編は各自、
めいめいのやり方でやりこんでみてくれ!!

1583年4月21日(旧暦)、
前日より秀吉軍との戦いに苦戦した柴田勝家は遂に敗走、
北ノ庄城へと逃れることとなる。
世に言う「賤ヶ岳の戦い」である。
23日には城を完全包囲され、翌24日、
勝家は愛妻・(信長の妹)と共に自害。
これにより、秀吉は天下をほぼその手中に収める。
posted by 野座羅氏 at 18:52 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月20日

巨城防衛戦!! 大坂城 冬の陣

真田編もいよいよ大詰め。
今回紹介するのは、史実でも有名な
「大坂 冬の陣」だ!

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史実では、1614年、豊臣再興の為、
大坂城に集結したおよそ5万の恩顧の武将らと
これを鎮圧せんとする徳川軍20万との戦い。

この「天下人」でも、基本的な背景は変わらない。
篭城し、徹底抗戦の構えの幸村らに対し、
城を包囲、突入しようとする徳川の大軍勢

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守りの要となるのが、
防塁、真田丸

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この真田丸での戦い方が、すなわち、
攻略のポイントとなる。
複数の鉄砲隊を有効に活用し、
堀手前や柵で進軍が鈍る敵を、徹底的に叩き潰せ!

また城外に設営されている矢倉の強化
敵戦力を減ずる大きな戦力。
敵の隙を見て、工作系の部隊を差し向けよう!

注意すべきは、徳川四天王
家康本人の鉄甲隊だ。
とてつもない防御力を武器に、
じりじりと城内へ食い込んでくる。
何としても防がなければならない!!

史実でも、この真田丸、そして真田幸村の大活躍が、
数で遥かに勝る徳川軍を苦しめた。
君もその手で、徳川勢を完膚なきまでに叩き潰してくれ!!

1553年の今日、4月20日(旧暦)は、
尾張聖徳寺にて斎藤道三織田信長に会見した日だ。
周囲が相変わらずの信長の「うつけぶり」に
眉をひそめ、失笑する中、道三のみは
信長の非凡さを知ったという。
奇しくもそのちょうど三年後、1556年同日に
道三は子・斉藤義龍に討たれる事となる。
その意思を、娘・帰蝶、そして婿・信長に託して…
posted by 野座羅氏 at 17:18 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月19日

深く静かに逃げ延びよ! 九度山脱出

今回紹介するのは、真田編初の「逃亡戦」

「九度山脱出」だ!!

史実では、関ケ原の合戦時に西軍として参陣していた
幸村・昌幸は、共に敗軍の将となる。
本来なら切腹ものであったが、東軍(徳川)として参陣した兄・信幸の
必死の助命嘆願により、紀伊・九度山中への蟄居(幽閉に近い)という
「破格の軽い処分」で済んだ。
長き浪人生活の末、父・昌幸は志半ばにて他界
残された幸村は、出家までする「世捨て振り」であったが、
1614年、豊臣勢決起近しの報せに
一路大坂城を目指し、九度山を脱出する… といったもの。

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この「天下人」の中では、
幸村と昌幸揃って九度山を脱出する流れとなっている。
敵は浅野長晟率いる追手たち。
自らの威信を賭け、幸村たちを追撃してくる。

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攻略のポイントは、「逃げ延びる事」のみを考えよう!!
幸村の兵種は「移動力重視」で選択するが吉。
特技・特命などを駆使して、
最悪、幸村だけでも脱出地点に到達させよう!!
だが、ここで昌幸が死亡してしまうと、以降の合戦では
昌幸は登場しなくなってしまう。
何としても昌幸が潰える前に、目的地に辿り着け!!

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と、いうところで、毎度おなじみ。
電話だ…

 野氏「はい、もしもし(多分、また頼みごとだ)」

 Y殿「おお、野座羅氏殿!
    Blogでの告知を至急お願いしたいのだわ」

 野氏「はぁ……
    なんか、嬉しそうですね」

 Y殿「公式でのプレゼント企画、
    この前の新アイテム追加に伴い、
    応募期間の延長が決定したのじゃ!!」

 野氏「まじっすか?」

 Y殿「締め切りを半月延長し、
    5月15日の当日消印有効となったのじゃ。
    更に…」

 野氏「まだ何かあるんですか?」

 Y殿「新アイテム、QUOカードのデザインが出来上がったのだわ!
    メールで画像を送ってあるはず」

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 野氏「えーと…
    おお!! り、林様ではないですか!」

 Y殿「詳しくは公式HPでの発表にて!
    くどいようじゃが関係者は当たらぬぞ
    オホホホホホホ!!」

 野氏「トホホ…(なんとか手に入れる方法はないものか?)」

これは是非ともGETしたいお宝だ!!
みんなもどしどし応募してくれい!!
posted by 野座羅氏 at 20:23 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

戦国武器事情あれこれ 弓と鉄砲

この「天下人」の中でも
頼りになる中距離支援戦力、鉄砲

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では、この弓と鉄砲。
現実にはどういうものだったのか?

まずは
実はこれ、日本刀と並び、「日本独自の進化」を遂げた武器であった。
現在の弓道用の弓を見ても窺い知れると思うが、
およそ2.2m。弓類としては世界最大級
これは射程と初速の延長を追及していった結果と思われる。
※反対に西洋の弓はどんどん小型化していった。
また矢の方は、金属製は矢じりのみで、
他は木・竹で軽量に作られているのも日本の弓の特徴であった。
剛の者になるとその射程距離は百m以上にも及ぶと言うから、
現在のライフル並の「間合い」であった。

そして鉄砲
1543年、種子島に漂着したポルトガル船から
数丁が持ち込まれたとされる鉄砲(火縄銃)は、
その数十年後には、日本は世界有数の「鉄砲保有国」となっていく。
時まさに戦国時代、各武将達の要求と
刀鍛冶が元々持っていた高い技術力が結集された結果だ。

戦国時代、最も一般的とされた六匁銃は弾の直径が16mm
このあたりが破壊力と実用性の折り合い点だったようだが、
中には五十匁銃、弾の直径30mm強という
「化け物」まで、使用されていた。

鉄砲は、信長が実戦で初めて「集中運用で攻撃力を高める戦法」
取り入れて以来、以降の戦国時代の欠かせない戦力へと変貌していく。

この信長が鉄砲を集中運用した戦いが
「長篠の合戦」と言われている。
この合戦は、この「天下人」の中でも
いくつかの編で描かれている。
鉄砲の使いどころ、君もその手で体感してみてくれ!
posted by 野座羅氏 at 22:29 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月17日

防衛戦再び! 上田城大合戦

真田編第三章、舞台は再び、
真田一統の本拠とでも言うべき

「上田城」だ!!

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今回の敵は徳川秀忠が率いる徳川精鋭軍。
相変わらず、大軍勢で城を包囲する戦略だ。

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ここでの攻略ポイントも、第一章と同様。
敵を迎えうとうと城外に出るのではなく、
敵を城内に引き寄せ、確実に戦力を削っていこう!
城内の矢倉を強化して、味方の攻撃力の補強も忘れずに!
後々楽になるぞ!

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だが、徳川も更なる援軍を参戦させてくる。
その中には「意外な強敵」も加わってくるので、
要注意だ!!

敵戦力を上手く城内に引き込んだら、
真田の奥義で止めを刺せ!!
この奥義、きっと度肝を抜かれること請け合いの
ド派手な技だ!!
是非、君の手でこの技を
発動させてやってくれ!!

1616年の今日、4月17日(旧暦)、
徳川家康が駿府城でその生涯を閉じた。
享年75歳。
死因は「鯛の天ぷらにあたった」とも、
癌とも言われているが、定かではない。
苦渋の末、天下を握った男、徳川家康。
彼が亡くなった後、およそ二百数十年、
徳川幕府はこの日本を治め続けていく…
posted by 野座羅氏 at 15:46 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

巨城に潜む影 小田原征伐

今日紹介するのは、真田編第二章

「小田原征伐」だ。

これまでの編でも、その広大な城内に多数の軍勢を
配した敵の抵抗が激しいステージだった。

真田編でも基本は同じ、敵は北条一族が主力。
攻略のポイントは、この北条一族への対し方だ。

矢倉を拠点に陣取る北条各員達。
まずは矢倉を押さえ、そこを反攻の足掛かりとすべし!
北条、特に氏政・氏邦・氏照・氏直は強力なので、
無理に攻め込むよりも、矢倉押さえと他の敵部隊への攻撃を
優先させるが吉。

また、城内には北条配下、風魔小太郎率いる
風魔忍が潜んでいる事必至。
これに対抗するには、目には目を。
忍びには忍びを。
猿飛佐助の使いどころが重要と成る。

最後まで気が抜けない戦いだ!!
真田一党の団結力。      
それが勝利のキーワードだ!!

…電話だ。

 野氏「はい、もしもし」

 Y殿「おお、野座羅氏殿かえ?先月末より催しておるお客様プレゼント、
    あれの商品に近々更に品目を追加する予定があるのだわ」
    
 野氏「あの獅子猿氏サイン入り画集プレゼントですな!
    賞品が増えるんですか!?」

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 Y殿「そうなのじゃ、今回は新アイテムも追加されるぞよ!」

 野氏「新アイテム!?(ドキドキ)」

 Y殿「それはの・・・ごにょごにょ(耳打ち)・・・」

 野氏「えっえーっ!
    お、俺にも下さいぃ〜!!」

 Y殿「ええい!
    欲しくば、応募ハガキをドシドシ送るのじゃ!
    …ちなみに関係者は無効じゃ。オホホホホホホ!!」

 野氏「トホホホホホ…」


…と言うわけで、近々追加されるという新アイテムてんこ盛りの
プレゼント企画 乞うご期待!!
posted by 野座羅氏 at 22:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月13日

武士は喰わねど… 戦国兵糧事情

戦国時代は、全国各地で様々な合戦が行われた。
この合戦に際し、武将たちが何に頭を痛めたか。

その一つが「兵糧」、平たく言えば食事だ。
「何を呑気な」と思われるかもしれないが、
これが実に重要な要素だった。

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織田信長専任の足軽制(職業軍人、
これ以前は殆どが農民を徴用していた)を布くまでは
いい飯が出る方に仕える」なんてのは割と当たり前。

で、実際の食事の内容だが、時代的にもかなり質素な物であった。
※ただ米だけはたらふく食えたらしい。
主に米、雑穀、汁物、漬物、時々は鳥や魚などの
肉類も振舞われたと文献にはある。

平時には、このような感じだったが、いざ合戦となると
落ち着いて食事など出来はしないと思いきや、
余程の最前線でも無い限り、隙を見ては
携行食料、干飯(ほしいい)や握り飯などをぱくついていたらしい。

多用されていたのが、荷作り用の縄
これは藁ではなく、芋がら(イモ類の茎)を味噌で煮込んだ物が
使われており、荷解き後も捨てずに「食料」として利用していた。
適当な大きさに刻み、陣笠に水を入れ、軽く煮込めば
即席味噌汁の出来上がり。
※陣笠は紙や布製だったが、中の水分が
 無くならない限り燃える事は無い。

強行軍時には、食事休憩をとる時間も惜しみ、
沿道の村々に炊き出しをさせ、これを歩きながら食べるといった
方式が取られていた。
これは事前の根回しや
普段からいかに領民を掌握しているか、
これらで成否が大きく分かれていた。

秀吉は、この強行軍を得意としていたが、
彼独特の人と成り、気さくな人柄が広く領民に愛されていたからこそ
なせた技ともいえるだろう。

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この「天下人」の中でも、
不気味さと愛嬌を併せ持つ独特の人物として
描かれている秀吉
各編によって、その役割も大きく違っている。
君が好きなのは、どの編の秀吉かな?
posted by 野座羅氏 at 21:10 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月12日

奇策・変則攻撃を駆使しろ! 真田大勇士編

今回から紹介するのは、真田大勇士編
この真田編、最大の特徴

「変則攻撃」だ!!

これまで紹介してきた信長編・家康編
いわば「正攻法」オーソドックスな戦いが主だった。
真田編では一転、仕掛け・罠満載
別の意味で頭を使わなければ勝てない合戦の連続となっている。

最初の戦いは、「「上田城攻防戦」!
この戦い、史実では1585年、
当時北条氏との関係強化を目論む家康が、
真田昌幸所領の北条氏への譲渡を計画、
激怒した昌幸が徳川を離反するという事態に陥る。

家康はこれに対し、およそ1万の軍勢を
信州上田城へと差し向ける…

この流れは「天下人」の中でも同様となっている。
敵は秀忠率いる徳川勢。
大軍勢で上田の城を包囲せんとする。

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この合戦での攻略のポイントは、
「真っ向きって敵の相手をしないこと」
敵を上手く城内に誘い込み
見方の弓矢倉などで確実に戦力を削ることに専念しよう。
敵の誘き寄せには
「特命」などの駆使も一つのポイント。

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さあ、燃える男の真田編、第一章!
見事、城を守り通し、徳川勢を蹴散らしてくれ!!

1573年4月12日。
上洛の途にあった甲斐の巨人、武田信玄がこの日病没した。
享年53歳。
死因は胃癌とも言われている。
この5年後、1578年にはもう一人の猛将、
上杉謙信も亡くなる。
こうして戦国の世は、新たなる世代、
信長家康たちが主役へと踊り出ていくこととなる…

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2006年04月11日

開発秘話A:プログラム編 本編より実は…

前回の企画スタッフの裏話に続き、今回はプログラムスタッフ
I氏、N氏との雑談から拾った開発秘話を披露したいと思う。

 野氏「しかしあれほどの大軍勢が、
    それぞれ別行動とるシステムって
    やっぱり物凄く苦労したんじゃないですか?」

 I氏「あそこら辺は、数年かかって試行錯誤してますからね。
    そういう意味じゃ、凄くすんなりいきましたよ。
    それよりも、チュートリアルの方が…」

 野氏「チュートリアル?
    基本部分ですよね、あそこは」

 I氏「いや、本編には無いいろんなシステムを使ってますから。
    時間やその他の制約もあって、一番きつかったのはあそこかなぁ」

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 野氏「いきなり主人公武将同士で夢のタッグが見られたりして面白いです
     よね 〜 あそこは特別だったんですね。」

 I氏「はい、だから全てが揃った後、一番最後に作ったんです。」

 N氏「あと数じゃなくて、武将や兵種の『種類』が多いのも
    結構苦労しましたね。
    メモリが足りないーーって大騒ぎしたりとか(笑」

 野氏「常駐させるべきデータが複雑多岐に渡りすぎると…」

 I氏「軍勢も含めて『全てを表示する』なんてのは絶対無理ですから。
    となると、何を消し何を残して表示させるか」

 N氏「そのプライオリティの決定が、かなり直前まで
    いろいろやってましたね。
    あと特命のシステムも特殊な物が多くて…」

 野氏「なるほどね、長年の試作が結実した本システムだけじゃない。
    いろんな物の集大成がこの『天下人』というわけですな」

と、いうような今だから話せる色々な本音が一杯出たのだが…

 Y殿「…野座羅氏殿、印を付けた部分は将来への布石
    今、ここで明かすのは控えよ」

 野氏「ええーっ、ここの部分が凄く面白いのに…
   (というかほとんど印入ってるよ)トホホ」

てなチェックが入ったんで、まずは以上の内容で勘弁して欲しい。

しかし、スタッフの皆さんは厳しい制限の中に色々な要素を取りまとめて
ユーザーが楽しめるよう、試行錯誤しながらゲームの中に組み込む努力を
されている。
俺と違って皆、非常に努力家ばかりだなぁ…と、つくづく思ったよ。

先に語られた要素に注目しながら、ゲームを楽しんでみるのも
面白いかもしれないぞ!
では、今後も裏話を随時紹介していくからお楽しみに!
posted by 野座羅氏 at 15:18 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月10日

不遇の身あり、根無し草あり 浪人たちの生涯

今日4月10日は、1560年に
あの後藤又兵衛基次が生まれた日だ。

「天下人」の中でも大活躍する、有名な武将の一人で、
特に大坂の陣での鬼気迫る攻め口とその最後は、今も語り継がれている。
この後藤又兵衛、元々は黒田家(黒田官兵衛孝高(如水))に仕える家柄の出だったが、
家中の揉め事により、一時黒田家を追放される。
後に許され、黒田家に戻るが、今度は官兵衛の子、
黒田長政と折り合いが悪く、
再び黒田家を出奔する。
当時すでに「智勇の誉れ高き身」であった又兵衛のもとには、
いくつもの有名大名からの仕官の誘いが舞い込むが、
これらは全て黒田長政に妨害され、結局浪人に身をやつしていく。
※長政のこういうところも又兵衛は嫌いだったのかも。

大坂の陣では当初、破格の恩賞で家康に誘われるが、これを拒絶。
豊臣勢として参陣、夏の陣で伊達軍との熾烈な抗戦の末、戦死する。

又兵衛はその能力の高さゆえに、旧主に疎まれ、
不遇の扱いを受けた代表格ともいえるのだろう。

0410a.jpg

対照的なのが、漫画などで一躍有名になった前田慶次
彼も「天下人」で活躍する武将の一人。
本当は慶次郎・慶二郎(のちに利益)という名で、
前田利家の義理の甥。
武将として数々の武勲を挙げたのはもちろんだが、
この慶次、それ以上に有名なのが
傾奇者としての立ち居振る舞いと
文人としての類まれなる資質であった。

前田家をあっさり出奔したあと、
各地をふらふら、根無し草のような生き方。
かと思えば、いきなり上杉に仕官、
関が原の合戦前後に勃発した長谷堂の戦いでは
大奮闘している。

で、これだけの逸材でありながら
関ケ原後は殆ど歴史の表舞台に姿を現さなくなるという
まったくもって「変な人」だった。
そのかわり、彼が残した道中日記などは
その完成度、高い教養に裏打ちされた洒脱な句などで
現在でも評価が高い。

真田幸村も九度山での長き浪人生活が、
大坂の陣での大活躍に繋がっていくのだろう。

浪人
「主なき身」を堪える者あり、楽しむ者あり。
彼らの悲しみや喜び、そこら辺も踏まえて
「天下人」をプレイしてみるのもまた一興だ。
posted by 野座羅氏 at 18:34 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月07日

天下分け目の大合戦!! 関ケ原の戦い

日本一有名な合戦と言っても過言ではないのが、

この「関ケ原の戦い」だ。

0407a.jpg

「天下人」の中でも、史実通り、
家康東軍を率い、
石田三成の西軍と激突する。
東軍には他に加勢が参陣、
西軍には真田、毛利、島津らが組する

まさに「オールスター戦」の様相。

0407b.jpg

この合戦は、実は「天下人」の中でも
一、二を争うほど「史実絡みのエピソード」
散りばめられているんだ。

 野氏「ははぁ、ここでやっぱり
    こいつは尻込みするわけですな」

 Y殿「これを抜いては関ケ原は語れぬゆえ
    押さえるべき所は押さえねば、
    仮想にも深みがなくなるであろう?」

 野氏「一から十までフィクションだと
    ただのファンタジーになっちゃいますもんね…
   (気のせいか俺も
    どこからか威嚇射撃を受けてる気がする)」

この「ある武将の停滞」こそが
攻略のポイントの一つと言うのも
史実を踏まえた運び。
また途中加勢してくれる味方援軍武将の出現も、
敵の動きをかき回す大きな転換点だから、
攻め時を逃さぬように注意すること!!

家康最後の合戦、これを勝ち抜いた者が

真の天下人となる!!
みんなも頑張って、戦い抜いてくれ!!

1584年の明後日、4月9日は、
長久手の戦いで、徳川軍が羽柴軍に勝利した日だ。
この戦いは、「天下人」の中では
徳川編「小牧山攻防戦」として描かれている。
だがこの戦い、家康は戦(喧嘩)には勝ったが
「勝負」には負ける結果となる…

その不遇の顛末、是非とも自分の目で確かめてみてくれ!
posted by 野座羅氏 at 21:57 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月06日

秀吉配下としての巨城攻略戦 小田原城攻め

史実では、秀吉率いる大軍勢が包囲網を敷き、
城内での戦闘をしないまま決着したのが

この「小田原城攻め」
信長編・小田原城攻めでも触れたけど、
15万にも及ぶ大軍勢、そして余裕の態度で
布陣する秀吉勢を目の当たりにしたら、
そりゃ抵抗は無駄と誰でも悟ろうというもの。

0406a.jpg

この「天下人」徳川編での合戦は、
家康らが先発隊として布陣するあたりまでは
史実になぞらえている。

だが、この徳川編では、篭城するのは北条氏
そして足利義昭!!
相も変らぬ「人の手を借り虚勢を張る」将軍様だ。

0406b.jpg

秀吉率いる別働隊が加勢してくれるとは言え、
敵の防御網は強固。
特に三の丸に配置された
弓・鉄砲などの射撃部隊
石弓の攻撃は、放置したままだと
手痛い打撃をこうむる事必至!!
早めに潰しておこう!!

0406c.jpg

また本丸近辺には風魔忍の頭領、
風魔小太郎が何やら策を弄して待ち構えている。
これにも充分注意して、この巨城を攻め落としてくれ!!

ところで先月末から始まった
獅子猿氏の「サイン入り予約特典画集」のプレゼント
もう応募ハガキは送ったかな?
アンケートに答えるだけの簡単さだから、
どんどんハガキを送ってくれ!!
詳しくは公式HPの応募要綱を参照してくれよ!

奇しくも1590年の今日、4月6日は
秀吉の軍勢が小田原城包囲の布陣を固めた日だ。
※4月4日説もある。

この日より数ヶ月の後、小田原城はほぼ無血開城され、
ここに関東の名門北条氏は歴史の表舞台から
転がり落ちることとなっていく。

この北条氏凋落は、後の徳川家康の江戸移転の布石ともなる
歴史の大いなる転換点だった。
posted by 野座羅氏 at 16:45 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

現代に甦る戦国絵巻!! 川中島合戦

前回で「信玄VS謙信」の子孫対決を紹介したけど、
もうすぐ信玄のお膝元、山梨県内各地では
『信玄祭り』として、各種のイベントが毎年催されている。

その目玉はなんといっても

壮大に行われる『川中島合戦戦国絵巻』!!

山梨県石和温泉で行われるこのイベントは、
総勢数百名にも及ぶ、文字通りの「大合戦」なんだ!!
武田、上杉両陣営に分かれ、
史実に沿ったイベントを挟みつつ、2時間近くも行われる
大迫力の模擬合戦。

鉄砲隊(本物!!)の射撃実演や、信玄・謙信の一騎うち、
一般参加(!!)の「数百人単位の鎧武者」の大激突など、
戦国好きならよだれが止まらない事うけあい!!
※この一般参加の人たちの「鎧などの装備一式」は
地元有志や大会本部から貸し出される本格的なもの!

実は開発会社のスタッフも、去年のこのイベントを見学して、
大いに参考にしたというほどのスケールだ。

今年は、4月16日(日)に開催されるから、
時間の都合のつく人や近くに住んでる人は
一度見た方がいいぞ!!

ああ、公式サイト関連で新しい情報を入手したぞ。
攻略本『天下人 最終攻略指南書』では、
数多くの武将の設定が網羅されているが、
実はまだまだ紹介しきれていない武将たちがいる。

これらの武将の設定
近々公式サイトで紹介する予定だそうだ!
※例えば斉藤道三のこんな設定とか。

0405a.jpg

もちろんこれらは獅子猿氏デザインの武将絵図。
初期の設定やラフ画も紹介されると言うから、
デザインの変遷もわかる内容ということ。
是非とも楽しみにしていてくれ!!

posted by 野座羅氏 at 20:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

武将の末裔たちって今でも…… 信玄VS謙信

某TVを見ていたら、
武田信玄、上杉謙信の子孫が因縁の対決!!』
とかやっていた。
意外だったのは、双方共に
ご先祖様を誇りに思っている」と語っていたこと。
考えてみると、そりゃ「一族根絶やし」にでもされていない限り、
どこかに子孫・末裔の方々はいらっしゃるわけで。
脈々と受け継がれてきた「家名」は誇りなんだろうなぁ。

一時期、フィギアスケートでやたら取り上げられていた
男子の織田選手も「織田信長の子孫」だそうだし。
某芸人の奥さんも武将の末裔だったりするそうな。

有名人でなくても、割と身近なところに
「戦国武将の末裔」って人がいるんだろうなぁ。
そう思うと、戦国時代というのは決して
「別の世界の出来事」ではなく、
しっかりと自分たちの時代に繋がってくる「ご先祖様たちの記録」
なんだなぁと、改めて感じたわけだ。
※野座羅氏にも学生時代の同級生に「毛利家の子孫」ってのがいた。

みんなも自分の家系調べてみると、
意外な事実が隠されていたりするかも?

TVと言えば、来年の某国営放送の大河ドラマ、
配役が一部発表されたのだが……

上杉謙信Gackt!?

0404b.jpg

こ、これは予想できなかった!!
確かに謙信は「端正な顔立ちだった」とする史実も多いから、
それを踏まえてのキャスティングんだろうが……
予想を大きく上回る大胆な選定かと。
あ、でも舘ひろしの信長でなんか吹っ切れたのか?

話を戻すと、
信玄VS謙信の戦いは、
この「天下人」の中でも再現されている。
その鬼気迫る実力伯仲の戦い!!

0404a.jpg

是非、自分の目で確かめてくれ!!
posted by 野座羅氏 at 17:07 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月03日

かつての盟友、秀吉との戦い 小牧山攻防戦

史実では、1584年頃、家康らが
信長の次男・信雄を擁して、秀吉に対抗した戦い。
「小牧・長久手の戦い」と一般に称される一連の戦役だ。

信長の後継者争いで対立した秀吉柴田勝家は、
この前年、賤ヶ岳の戦いで全面衝突
勝利を収めた秀吉陣営は、天下平定の足固めを進めていた。
だが信雄は秀吉に対して、恭順を拒否。
これが契機となり、秀吉は信雄を攻撃し始める。
信雄は家康に加勢を懇願する……

この背景は、この「天下人」の中でも
殆ど同じとなっている。

0403a.jpg

かつては共に戦った秀吉との戦い。
しかも秀吉勢は、山地に幾つもの矢倉を構え、
大軍勢で家康を押しつぶす作戦。

しかしいかに大軍勢といえども、必ず布陣には隙ができる。
それがこの合戦での攻略のポイント。
細い山道ゆえ、敵も大部隊での移動がままならない。
ましてや迂回しながらの進軍だからその速度は遅い。
特技や陣形を活用し、
敵部隊の少ない地点を見極めて、
確実に突破口を開く。

0403b.jpg

また敵矢倉を抑えて、自軍の回復拠点とする事も重要。

 野氏「…結構、敵さん堅いけど、
    矢倉があると反復攻撃がかけられるんで
    心に余裕が出来ますな」

 Y殿「これまでの野座羅氏殿の戦運びならば
    心配するには及ばぬわ。
    ここまで育ってくれて、感慨もひとしおよ」

 野氏「(…何だ、妙に優しくなってきたな…)
    え、ええ。
    これもY殿のお陰です」

 Y殿「…ふむ、愛い奴。
    どうじゃ?
    このままわらわに仕えぬか?」

 野氏「え、ええっ!?(ど、どうする!?俺)」

 Y殿「オホホホ…
    今日は何日じゃ?
    戯れと気付かぬか!」

 野氏「し、しまったぁ!!」※一昨日(4/1)の出来事

軍議もさることながら、その時々の状況に応じ、
臨機応変に戦略を変えることも大事
君たちも頑張って、秀吉勢を撃退してくれ!!

ところで先週末に発売の
攻略本『天下人 最終攻略指南書
はもう手に入れたかな?

合戦の攻略方法、武将の成長など、
「天下人」を遊びつくす為の情報が満載だ!
更に各ショップでの予約特典テレカに使われた
獅子猿氏の書下ろしイラスト
ドドーンと大判画像で収録してある!!

まだ入手してない人は、書店に『疾風突撃』してくれ!
posted by 野座羅氏 at 19:22 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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