2006年04月28日

野座羅氏諸国漫遊へ

…電話だ。
何だ、こんな時間に?

 野氏「……もしもし」

 Y殿「野座羅氏殿かえ?
    プレゼント企画の件で話があるのじゃ」

 野氏「ああ、あの獅子猿氏サイン入り画集に加え、
    新たに吉岡林の図柄のオリジナルQUOカード
    セガダイレクトの予約特典・オリジナル
    そして販促用ポスター武将短冊セットが当たる
    プレゼントの事ですな」

0428a.jpg

 Y殿「わらわの台詞をとりおって……やるようになったわ」

 野氏「で、その件で何か?」

 Y殿「おお。
    すでに4月も終わり。
    応募期間が延長されたのを知らぬお客様のために
    再度、Blog上での告知を頼みたくての」

 野氏「5月の15日まで、延長されたんでしたよね?」

 Y殿「あと半月。お客様にはどしどし応募してもらいたい故
    是非とも告知の件、よろしく頼むぞよ!」

 野氏「御意!!
    …で、俺には……」

 Y殿「何度も言うておろうが!
    関係者の応募は無効じゃ!
    詳しくは、公式HPでの告知をごらんあれ!
    オホホホホホホ!!」

…と言うわけで、残り半月
プレゼント企画、みんなもどしどし応募してくれぃ!!

ところで、このBlogの更新、以降しばらくの間、
不定期になると思う。
実は、天下人やりこみすぎたおかげで、前にも増して
戦国時代への興味が高まってしまい、これから
各地で催される戦国関連の行事や旧跡・名所を巡り、
いろいろと情報や知識を仕入れる旅に出る事と相成りました。
※決してY殿から逃れようとか、そういう理由じゃないので・・・
 いや、本当に。

一皮剥けた野座羅氏とこのBlogにご期待あれ!

これまでお伝えしてきた「天下人」の色々な情報と魅力、
そして戦国時代の武士の生き様。
色々と情報を集めきっと戻ってくるつもりだから、時々は
ここを覗いて見てくれ!


更なる高みへ上ろうぞ!
野座羅氏でした。
posted by 野座羅氏 at 20:46 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

器量は悪いが働き者 戦国時代の馬匹考

戦国時代の「機動部隊」といえば、

騎馬隊だった。
「天下人」では、
特に武田騎馬隊の存在とその攻撃力は
恐ろしいの一語に尽きる。

この騎馬隊などに代表される、戦国時代の馬
一体どのようなものであったのか?

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まず、当然ではあるが、この時代の馬は、
今私たちがよく目にする競走馬(サラブレッド)ではない。
日本固有種の馬たちであった。

現在では在来馬8種が確認されるのみで、
木曽馬を代表とする中型種と、
野間馬などの小型種に大別される。
※すでに絶滅した種としては、南部馬・三春駒・三河馬など
 かなりの数の亜種がいた。

これら日本在来種の特徴は
太くて短い足
大きな胴
背の低さ
 が挙げられるだろう。
当時の日本人の平均身長160cm前後でも、
騎乗すると「足がつく」というから
かなり背が低かったことがわかるだろう。

だが、これらの日本馬は見かけによらず力が強く、
現在でも開催されているばんえい競馬(北海道旭川市)では
1tのソリを牽く競技があり、
その力強さはサラブレッドの比ではない。

考えてみれば、鎧を完全装備した騎馬武者、
人間の体重も合わせれば百キロ超を乗せ、
長時間の巡航や悪路の走破を軽々とこなす。
騎馬隊にとっては「欠かせぬ心強い友」であった。

確かにその走りには「優雅さ」は欠けているのかもしれない。
だがそれを補って余りある迫力と馬力

これらの日本馬の走り、機会があれば是非見る事をお勧めする。
posted by 野座羅氏 at 16:56 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

織田信長 青春の蹉跌

「天下人」の中では、桶狭間の戦いという一大転換期以降が
その舞台となっているが、
史実の織田信長の苦渋はそれ以前の時代にもあったというお話。

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下克上、自らの障害となれば例え親兄弟でも始末するのが習いの戦国時代。
どこの家中にも大なり小なり「家中の争い」は付き物だったが、
特に織田家はそれが激しかった。

信長の父・信秀の代には、一族は戦闘力こそピカ一であったが、
反面政治的権力は弱く、尾張守護代の織田信友を主と仰ぐ、地方領主に過ぎなかった。

まず信長は、自らの家督継承の最大の敵、
実弟・信行を仮病で誘い出し、これを暗殺
※信行は信長の母でもある土田御前の権勢を背景に
 たびたび信長に反抗、柴田勝家は元々信行付の家臣であった。

更に父・信秀没後、家督を継いだ信長は、
長年、一族の目の上のたんこぶであった清洲織田家当主・信友
尾張守護・斯波義統の子、義銀殺しの罪として討ち取る。
さらに、信長は織田一門の宗家であった上四郡守護代・織田信安をも討ち、
ここに織田家の統一となる。

これ以外にも、信長が若い頃は、
家中・親戚・近隣の殆どが「敵」という、絶望的な状況であったが、
これに信長は一貫して厳しい態度(早く言えば討ち取り)で臨み、
徐々に協力者・家臣を増やしていくのである。

有名な「うつけ」であった信長の事、
家臣・重臣・肉親にどのような扱いをされていたかは
想像に難くないが、まさにどん底から己の才覚のみで
家中を一つにまとめ上げたのも、信長だからこそなせた技なのだろう。

それ以降、信長は絶えず家臣を「恐怖」「恩賞」により支配、
だが身内には殊の外優しく、特に息子たちに対しては
威厳もあるが、気のいい父親として接したという逸話も数多い。

だが、この手腕が、後に自らの命を
縮める原因になったのかもしれない……
posted by 野座羅氏 at 21:09 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

開発秘話B:デザイナー編 色調とデザインの具現化

今回紹介するスタッフの裏話は、
CGデザイナーの皆さんから聞いたお話。
S氏、K氏にお話を伺ってみた。

 野氏「合戦でまず目を引くのは、個性豊かで
    バリエーション豊富な各MAPなわけですが
    どのような部分が苦労しましたか?」

 S氏「いや、取り立てて技術的には苦労はしていないんです
    数年前からコツコツといろいろな試作を経て、
    方法論はすでに確立していましたし」

 野氏「なるほど。
    だからこそ、バラエティ豊かな地形も再現できたわけですね」

 S氏「苦労したというか、テクスチャ用メモリなどの各種制限の中で、
    全体の色味の統一感季節感の表現
    それに全体を眺めた時の『わかり易さ・判別のし易さ』という
    点はなかなか上手くいったと思っています」

0425a.jpg

 野氏「見た目がわかりにくいと、
    移動などでストレスがたまりますからねぇ。
    キャラクターに関してはどうなんでしょう?
    獅子猿氏の特徴あるデザインを、
    どう具現化するかとか」

 K氏「イベントのキャラモデルについては、
    合戦中に比べれば制約は殆どありませんでしたね。
    獅子猿さんの設定をどこまでPS2上で再現できるか、
    それだけを考えて可能な限り作りこんでいます

0425b.jpg

 野氏「特徴あるデザインと雰囲気を、かなり忠実に反映させていますよね」

 K氏「どのキャラも重要な見せ場の“演舞”がありますから、安易に
    省略したりすれば、すぐにわかってしまいます。
    主役級クラスに関しては、殆ど妥協せずに製作しました」

 S氏「獅子猿さんの設定も、その構造や動作への対応に至るまで
    細かく考えられていたので、その点では矛盾は出ませんでしたし」

 野氏「…ふむふむ。
    緻密な設定と、それの妥協なき再現
    それにより、あの迫力と熱さがかもし出されているわけですな」

他にもいろいろな「制作技術上の秘話や目標」が聞けたのだが…

 Y殿「…野座羅氏殿、このくだりはくどいようだが企業秘密ゆえ
    ゆめゆめ明かす事はならぬぞよ」

 野氏「…わかっております。後々への財産ということですね…
    (ああ、でもその構想でRTSを作ると凄い物ができるはず
     …いつか見てみたい)」

確かな技術力に裏打ちされたデザイン設定と、それを現実化する
開発スタッフ一同のたゆまぬ努力。
是非、君もこの「天下人」で開発人スタッフの熱き心を感じてみてくれ!
posted by 野座羅氏 at 19:16 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

怪僧 天下を謀る 南光坊天海

この「天下人」には、多種多様な人物が登場する。
いずれも一筋縄ではいかぬ人物ばかりだが、
その中でも異彩を放つのが、今回紹介する

南光坊天海だ。

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この天海という男、その生涯の殆どがに包まれている。
元比叡山の僧侶で、あの信長の「比叡山焼討ち」の難から逃れ、
諸国の寺を流浪後、小田原城攻め〜関ケ原頃に徳川家康と出会い、
程無くして彼のブレーン的存在となっている。
以降、家康の、そして徳川幕府の陰の実力者として、
家康から三大将軍・家光にまで仕え、108歳(!!)で没したとされている。

特に、家康没後に、その称号を「東照大権現」とし、
江戸鎮護の要として、日光東照宮に奉った功績が大きい。
※一説には、江戸城下の都市計画の基礎
 天海が起案したとされている。

と判明している経歴を紐解いただけでも
何やら「常人とはかけ離れた資質の人物」がうかがい知れる。

で、この天海、「天下人」の中では、
明智光秀「本能寺の変」後、世を欺く為に
その身を偽る名・身分という設定になっているが、
実はこれ、歴史小説や歴史学者の間でも
取り上げられる説(半分トンデモではあるが)なのだ!

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光秀自身もかなり謎の多い人物。
将軍・義昭の特使として、織田家を訪れる以前の経歴は
伝承・伝説の類でしかないものが殆ど。
妙にそのあたりが天海の人物像とかぶる。

希代の怪僧、幕府・影の宰相、南光坊天海
果たして、その正体は何者であったのか……

全ては歴史の闇に飲み込まれてしまった。
posted by 野座羅氏 at 19:54 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月21日

最終防衛戦!! 徳川との最後の戦い!! 大坂城 夏の陣

真田編、最後の大決戦

「大坂城 夏の陣」だ!!

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史実では、先の冬の陣の停戦後、
徳川側の数々の策により、
堀を埋め立てられ、ほぼ丸裸となった大阪城を舞台に
豊臣残党と徳川の大合戦が行われた。

「天下人」でもそこら辺の状況を再現、
守りの要、真田丸も地続きと成り果てている

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この困難な状況の中、
徳川勢は前にも増しての大軍勢、
そして意外な援軍を引き連れて、再度大坂城攻略を開始する。
敵もこれを最後の決戦と踏まえているから、
その攻撃は熾烈の一言。
頼りの真田丸も無いまま、これをしのがなければ
城は落ち、豊臣家も最後の時を迎える、まさに正念場!!

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だが、味方側にも心強い人が助けに来てくれる!
戦力を集中し、確実に徳川勢を倒していくんだ!!
先の冬の陣でも有効だった、
「矢倉の強化」がここでの要!
工作系部隊の派遣を忘れるな!!

さて、今まで紹介してきた「天下人」プレイリポート、
ひとまず今回で一段落したいと思う。
残る伊達編、島津編は各自、
めいめいのやり方でやりこんでみてくれ!!

1583年4月21日(旧暦)、
前日より秀吉軍との戦いに苦戦した柴田勝家は遂に敗走、
北ノ庄城へと逃れることとなる。
世に言う「賤ヶ岳の戦い」である。
23日には城を完全包囲され、翌24日、
勝家は愛妻・(信長の妹)と共に自害。
これにより、秀吉は天下をほぼその手中に収める。
posted by 野座羅氏 at 18:52 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月20日

巨城防衛戦!! 大坂城 冬の陣

真田編もいよいよ大詰め。
今回紹介するのは、史実でも有名な
「大坂 冬の陣」だ!

0420a.jpg

史実では、1614年、豊臣再興の為、
大坂城に集結したおよそ5万の恩顧の武将らと
これを鎮圧せんとする徳川軍20万との戦い。

この「天下人」でも、基本的な背景は変わらない。
篭城し、徹底抗戦の構えの幸村らに対し、
城を包囲、突入しようとする徳川の大軍勢

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守りの要となるのが、
防塁、真田丸

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この真田丸での戦い方が、すなわち、
攻略のポイントとなる。
複数の鉄砲隊を有効に活用し、
堀手前や柵で進軍が鈍る敵を、徹底的に叩き潰せ!

また城外に設営されている矢倉の強化
敵戦力を減ずる大きな戦力。
敵の隙を見て、工作系の部隊を差し向けよう!

注意すべきは、徳川四天王
家康本人の鉄甲隊だ。
とてつもない防御力を武器に、
じりじりと城内へ食い込んでくる。
何としても防がなければならない!!

史実でも、この真田丸、そして真田幸村の大活躍が、
数で遥かに勝る徳川軍を苦しめた。
君もその手で、徳川勢を完膚なきまでに叩き潰してくれ!!

1553年の今日、4月20日(旧暦)は、
尾張聖徳寺にて斎藤道三織田信長に会見した日だ。
周囲が相変わらずの信長の「うつけぶり」に
眉をひそめ、失笑する中、道三のみは
信長の非凡さを知ったという。
奇しくもそのちょうど三年後、1556年同日に
道三は子・斉藤義龍に討たれる事となる。
その意思を、娘・帰蝶、そして婿・信長に託して…
posted by 野座羅氏 at 17:18 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月19日

深く静かに逃げ延びよ! 九度山脱出

今回紹介するのは、真田編初の「逃亡戦」

「九度山脱出」だ!!

史実では、関ケ原の合戦時に西軍として参陣していた
幸村・昌幸は、共に敗軍の将となる。
本来なら切腹ものであったが、東軍(徳川)として参陣した兄・信幸の
必死の助命嘆願により、紀伊・九度山中への蟄居(幽閉に近い)という
「破格の軽い処分」で済んだ。
長き浪人生活の末、父・昌幸は志半ばにて他界
残された幸村は、出家までする「世捨て振り」であったが、
1614年、豊臣勢決起近しの報せに
一路大坂城を目指し、九度山を脱出する… といったもの。

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この「天下人」の中では、
幸村と昌幸揃って九度山を脱出する流れとなっている。
敵は浅野長晟率いる追手たち。
自らの威信を賭け、幸村たちを追撃してくる。

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攻略のポイントは、「逃げ延びる事」のみを考えよう!!
幸村の兵種は「移動力重視」で選択するが吉。
特技・特命などを駆使して、
最悪、幸村だけでも脱出地点に到達させよう!!
だが、ここで昌幸が死亡してしまうと、以降の合戦では
昌幸は登場しなくなってしまう。
何としても昌幸が潰える前に、目的地に辿り着け!!

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と、いうところで、毎度おなじみ。
電話だ…

 野氏「はい、もしもし(多分、また頼みごとだ)」

 Y殿「おお、野座羅氏殿!
    Blogでの告知を至急お願いしたいのだわ」

 野氏「はぁ……
    なんか、嬉しそうですね」

 Y殿「公式でのプレゼント企画、
    この前の新アイテム追加に伴い、
    応募期間の延長が決定したのじゃ!!」

 野氏「まじっすか?」

 Y殿「締め切りを半月延長し、
    5月15日の当日消印有効となったのじゃ。
    更に…」

 野氏「まだ何かあるんですか?」

 Y殿「新アイテム、QUOカードのデザインが出来上がったのだわ!
    メールで画像を送ってあるはず」

quocard.jpg

 野氏「えーと…
    おお!! り、林様ではないですか!」

 Y殿「詳しくは公式HPでの発表にて!
    くどいようじゃが関係者は当たらぬぞ
    オホホホホホホ!!」

 野氏「トホホ…(なんとか手に入れる方法はないものか?)」

これは是非ともGETしたいお宝だ!!
みんなもどしどし応募してくれい!!
posted by 野座羅氏 at 20:23 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

戦国武器事情あれこれ 弓と鉄砲

この「天下人」の中でも
頼りになる中距離支援戦力、鉄砲

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では、この弓と鉄砲。
現実にはどういうものだったのか?

まずは
実はこれ、日本刀と並び、「日本独自の進化」を遂げた武器であった。
現在の弓道用の弓を見ても窺い知れると思うが、
およそ2.2m。弓類としては世界最大級
これは射程と初速の延長を追及していった結果と思われる。
※反対に西洋の弓はどんどん小型化していった。
また矢の方は、金属製は矢じりのみで、
他は木・竹で軽量に作られているのも日本の弓の特徴であった。
剛の者になるとその射程距離は百m以上にも及ぶと言うから、
現在のライフル並の「間合い」であった。

そして鉄砲
1543年、種子島に漂着したポルトガル船から
数丁が持ち込まれたとされる鉄砲(火縄銃)は、
その数十年後には、日本は世界有数の「鉄砲保有国」となっていく。
時まさに戦国時代、各武将達の要求と
刀鍛冶が元々持っていた高い技術力が結集された結果だ。

戦国時代、最も一般的とされた六匁銃は弾の直径が16mm
このあたりが破壊力と実用性の折り合い点だったようだが、
中には五十匁銃、弾の直径30mm強という
「化け物」まで、使用されていた。

鉄砲は、信長が実戦で初めて「集中運用で攻撃力を高める戦法」
取り入れて以来、以降の戦国時代の欠かせない戦力へと変貌していく。

この信長が鉄砲を集中運用した戦いが
「長篠の合戦」と言われている。
この合戦は、この「天下人」の中でも
いくつかの編で描かれている。
鉄砲の使いどころ、君もその手で体感してみてくれ!
posted by 野座羅氏 at 22:29 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月17日

防衛戦再び! 上田城大合戦

真田編第三章、舞台は再び、
真田一統の本拠とでも言うべき

「上田城」だ!!

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今回の敵は徳川秀忠が率いる徳川精鋭軍。
相変わらず、大軍勢で城を包囲する戦略だ。

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ここでの攻略ポイントも、第一章と同様。
敵を迎えうとうと城外に出るのではなく、
敵を城内に引き寄せ、確実に戦力を削っていこう!
城内の矢倉を強化して、味方の攻撃力の補強も忘れずに!
後々楽になるぞ!

0417c.jpg

だが、徳川も更なる援軍を参戦させてくる。
その中には「意外な強敵」も加わってくるので、
要注意だ!!

敵戦力を上手く城内に引き込んだら、
真田の奥義で止めを刺せ!!
この奥義、きっと度肝を抜かれること請け合いの
ド派手な技だ!!
是非、君の手でこの技を
発動させてやってくれ!!

1616年の今日、4月17日(旧暦)、
徳川家康が駿府城でその生涯を閉じた。
享年75歳。
死因は「鯛の天ぷらにあたった」とも、
癌とも言われているが、定かではない。
苦渋の末、天下を握った男、徳川家康。
彼が亡くなった後、およそ二百数十年、
徳川幕府はこの日本を治め続けていく…
posted by 野座羅氏 at 15:46 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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